【感想】IMAXで観ないと絶対に後悔する映画「ダンケルク」【ネタバレ】
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めちゃくちゃ地味な映画だった「ダンケルク」
「めちゃくちゃ地味やん…」埼玉県の小さな映画館でダンケルクを観たぼくは落胆と共に劇場を去った。うちにふつふつと秘めた激情とともに。
第2次世界大戦中にイギリスを沸かせたダンケルクからの撤退作戦を描いた映画「ダンケルク」。監督を務めたのは映画好きなら知らない人はいないだろう、クリストファー・ノーランである。デビット・フィンチャー、スタンリー・キューブリックと並んで「好きな映画監督」に上げるとにわか認定されるあのノーランだ。そのノーランがノンフィクションに挑戦したというのだから見逃せない。
しかしだ。一度目の観賞は最初に述べたように落胆に終わった。「めちゃくちゃ地味やん…」と思わず漏れた。そんなことを言うならインソムニア・フォロウィング・メメントだって地味だっただろ、と石を投げたくなる気持ちにもなるだろうが、それとこれとは違う。「ひねり」がない。あるいは、意外性というか。プレステージ宜しくジャンルを横断したり、メメントのように謎の展開に鑑賞者を巻き込んだり、インターステラーのように筆者の涙腺をからしたり。そういったものがなかった。
ダンケルクはつまりぼくにとって「めちゃくちゃクオリティの高い戦争映画」だった。それ以上でもそれ以下でもない。そもそもぼくは戦争映画があまり好きではなかった。おいそれを言ったらおしまいだろr。
だがしかし、その評価はIMAXで鑑賞後上方修正される次第になった。これだけ言っておいてなぜまた観たのか。「その魅力の20%も味わえていなかった」と感じたからだ。話によると今作はIMAXでの上映を前提に制作されており、IMAX以外のスクリーン映像の40%ほどがカットされるらしい。まじかよ。さすがにそれだけで評価を下すのはちょっと、と感じたので新宿に出向いたわけである。
IMAXスクリーンで豹変を遂げたダンケルクの戦い
IMAXで観賞した今、ダンケルクを一言で表すならば「なぜかまた観たくなる映画」だ。
音楽はホラー映画みたいだし、水がばしゃばしゃ流れ込んできて何が起きてるかよくわからない場面が多々あるし、そもそも登場人物の自己紹介もなければ顔がいちいち似てるので誰が誰だかわからなくなる。物語に入り込めているのかといえばノーだ。だが劇場をあとにするとなぜかまた観たくなっている。謎の吸引力を持った映画として自分の胸に刻まれた映画。月並な感想だが、あの「自分も戦場にいるような臨場感」はクセになる。
「ダンケルク」はなぜIMAXで観るべきなのか
さて。ようやく記事のタイトルの理由を解説するが、それは「IMXでみないと楽しくないから」だ。それ以上でもそれ以下でもない。なぜ楽しくないかというと、あの映画の楽しさの大部分を占めている臨場感がIMAX以外では損なわれるから。上述したがダンケルクの最大の魅力は自分が今まさにダンケルクにいるのではないかと勘違いしてしまうくらいの臨場感・没入感にある。それらを最大限に発揮するには最早IMAX以外の手段がなかったのだろう。音とスクリーンの巨大さが通常のシアターとはあまりにも桁違いすぎる。
ダンケルクを賞賛している人の9.999999999999999割はIMAXで観た人だと思う。IMAXで観た人は是非それ以外のスクリーンで観てみてほしいし、通常のシアターで観て「あれれれ…」と思った人もぜひIMAXで再度鑑賞してほしいと思う。そこには全くの別世界が広がっているに違いないから。PCとか小さなモニターで観た場合、30分くらいで夢の世界にいる自信がある。
「負けた」「勝てなかった」ことを恥じてはいけない。
生きていれば、それだけでいい。
人は何度でもやり直せる。また戦える。生きている限り。
あと一回くらい、劇場で観ておきたいと思う。もちろんIMAXで。