圧倒的成長侍

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イケダハヤトさんの「武器としての書く技術」を読んで思ったこと

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圧倒的成長を約束する記事3選+1

プロブロガーイケダハヤトさんの著書「武器としての書く技術」の感想です。 文章のノウハウとかハウツーももちろん勉強になりましたが、わたしがシビレたのは後半の書くことと自分についての精神的な部分の話。書くという行為がどういうものなのか、改めて再確認ができます。

 

 

 

自分を表現して「個人」を取り戻そう

 

ブログを用いた自己表現というのは、「希薄になった自分の濃度を高める作業です」

 

これです。書くっていうのはまさにこういうことでしょう。視点を変えれば様々な見方がありますが(想像させたり行動させたり)本質にあるのはこの「表現」するってことなんですよね。書くってことは。

 

コピーライティングの世界とかでは個を消して、徹底的にユーザーインサイトを追求した文章を書くのが仕事なわけですが、ブログは違う。

 

ブログは自己表現の手段です。収益とかを鑑みるのであれば自分の意とは違った文章を書かないといけない時もあります。しかし今やどんな人でもスマホひとつあれば情報発信が可能になったこの時代です。他人の視線ばかり気にした日和った「個」が消失した文章は淘汰される。

 

単純に情報を集めるだけならウィキペデイアでもなんでも見ればいいのだし。

その人独自の視点、考えがあるから人はわざわざ少ない時間を割いてまでその文章を読むのです。

 

「自分」が消失している現代人

問題はほとんどの人間にとって「自分」という存在が何者なのか理解できなくなっているというところにあります。

 

人間をコモディティ化している要因は大きく分けると2つあります。イケダハヤト氏の言う「コンテンツの氾濫」と「教育形態」です。

 

コンテンツの氾濫

コンテンツの氾濫も教育形態も本質は一貫しています。これらは人間の能動的な体験を奪っています。

 

「何を見るか、読むか わたしはちゃんと選択している。これは能動的な行為じゃないか」

本当にそうでしょうか?イケダハヤト氏はこのように述べています。

 

家に帰れば、誰かが作った楽しいコンテンツが、自分の気を紛らわせてくれます。つまらないと思ったものは見なければいい。面白い何かがあれば、それを消費する。ただひたすら画面を見て、笑い、泣き、あー楽しかった、共感した、感動した…と床に就く。やはりここでも「自分」は不在です。

  

「自分」で情報やモノの選択をしたからそれは自分の「一部」「血肉」となる。この考え方はあまりにも物質主義的な考え方で寂しいです。

 

他人が生んだものにしか自分が存在しない、魂が居場所を求めて放浪しているようなものです。

 

教育

教育に関してもそうです。しかもこちらは幼少期から刷り込まれるものなので更に質が悪い。

 

言い古されていることですが日本の教育は「答え」を何よりも重んじています。

これがいけません。人生における殆どの事象には答えなんてないのに。

故に就活とかのこれからの人生に直結する選択においていざ自己分析をしようと意気込んでも「何から始めればいいの?」「やりたいことなんてわかりませぇん」となってしまいます。

 

それは決して自分だけが悪いわけではないと思います。非常に言い訳がましいですが。教育方法を変えたからといってダメな人はダメなんでしょうけど、少なくとも現在の教育形態は確実に改善の余地があります。

 

言ってしまえばわたしだって被害者です。怠惰に過ごしてきた自分にも責任があるのはもちろんですが、現代の潮流は確実に人間から思考を奪っています。そのほうが上からすれば都合がいいんでしょうが。

 

それでも気づく人は気づくし本当にやりたいことがある人だっていないわけじゃない。気づかない人はどんな状況にいるのかも理解しないまま生きていくのでしょう。それはそれで幸せだと思います。たいした能力もないのに中途半端にこの現実から抜けだそうともがいてる人が一番無様に見えるこの社会。資本主義は残酷です。

 

書くことで自分がわかる

最初の繰り返しにはなりますがこの宙に浮いてしまった自己を取り戻す(あるいは形成する)ツールは数あれど、書くという行為は非常に手軽な手段だと感じます。現にこうして連々と言葉を垂れ流すだけなのですから。本稿が自己表現の類とかになってるかはわかりませんが。

 

つまるところ個人の文章というのはそれまでの経験が色濃く反映されるので、自分でも気づいていなかった特性とかを発見するいい機会になるかもしれないのです。だからわたしは方向もなにも見えなくとも書き続けます。

 

 

「こんな情報発信したって誰の役にも立たない」という意識は捨てる

ブログの書き方で一番勉強になったのはここですね。

どんな経験だってきっと誰かの役に立ちます。

 

例えば先日わたしのiPhone6+が水没でお亡くなりになりました。わたしはソフトバンクをキャリア契約をしていたのでソフトバンクのHPを見て今後の方針を考えたのですが、バカなわたしはHPを見るだけではどうすればいいのか全くわからず。そんなわたしを助けてくれたのは個人のブログの記事でした。

 

グーグル先生で検索すると同じようにiPhoneを故障させた人がどのようなフローで新品を入手したのかを、料金なども合わせて詳しく残してくれている記事がいくつかありました。そういった記事のおかげでスムーズにアップルストアの店員を煩わせることもなく手続きが済みました。

 

この例は結構助かってる人も多いと思いますが、裸タンバリンという一発芸を実践してみたいという方だって世界に一人や二人はいるはず。そういった方のために記事を残せば確実にその人は助かります。この世の情報は誰かのためになるのです。

 

そういった意識を持つと「こんな記事で大丈夫だろうか」という不安は和らぎます。どんなに記事を書いたところで迷惑になることはないのだからどんどん書こう。という指摘。勇気がもらえました。笑

 

そんなところです。文章を生業にする、しようとしている人は必見の一冊!